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2010年 12月 28日
12.ご皇室の祖先神
此のように、天照大御神⇒天忍穂耳命⇒邇邇藝命⇒穂穂手見命⇒鵜葺草葺不合命⇒神倭伊波礼毘古命(=神武天皇)⇒歴代の天皇さまへと、今上(きんじょう)陛下で125代も続いています。それなるが故に、天照大御神は、ご皇室の御祖先神とされているわけであります。 表=天照大御神から神武天皇までの系譜 #
by ikawazukbr
| 2010-12-28 17:31
| 伊勢神宮
2010年 12月 27日
11.神武天皇
神倭伊波礼毘古命は、兄君である五瀬命と共に、高千穂宮(たかちほのみや・日向)に居られたとき、ご相談になられて「どこの地に居たならば、安らかに天下(あめのした)の政(まつりごと)を執り行なうことが出来るのだろうか。やはり東の方に都の地を求めて行こうと思う」と仰せられて、ただちに日向を出発されました。 日向の高千穂宮⇒筑紫⇒豊国の宇沙(とよくにのうさ)⇒筑紫の岡田宮⇒阿岐国(あきのくに)の多祁理宮(たけりのみや)⇒吉備(きび)の高島宮(たかしまのみや)⇒浪速(難波)⇒紀伊半島⇒熊野村⇒吉野河の河尻⇒宇陀(うだ)⇒忍坂(おさま)の大宮(おおみや)に大変な苦労のすえ、多くの年月を経て至ったのであります。荒ぶる神たちをコトバで説得し和平し、服従しない人たちを撃退して、畝火(うねび・畝傍)の白檮原宮(かしはらのみや・橿原)において天下(あめのした)を治められました。此処に神武天皇による日本の建国(神武建国)が成ったのであります。 歴史絵画:神武天皇の御即位(神宮徴古館蔵) #
by ikawazukbr
| 2010-12-27 14:02
| 伊勢神宮
2010年 12月 24日
10.若御毛沼命(わかみけぬのみこと)=後の神武天皇
鵜葺草葺不合命は、豊玉毘売命の妹である玉依毘売命(たまよりひめのみこと)と結婚されました。その御子は、五瀬命(いつせのみこと)、稲氷命(いなひのみこと)、御毛沼命(みけぬのみこと)、若御毛沼命(わかみけぬのみこと)の四方であります。 若御毛沼命は、別名を豊御毛沼命(とよみけぬのみこと)また神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)と申しますが、後の神武天皇(じんむてんのう)であらせられます。 歴史絵画:神武天皇の御東征(神宮徴古館蔵) #
by ikawazukbr
| 2010-12-24 15:57
| 伊勢神宮
2010年 12月 23日
8.天津日高日子穂穂手見命(あまつひこひこほほでみのみこと)
邇邇藝命(ににぎのみこと)が天降られ、木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやびめのみこと)と出遭い結婚されます。御子は、火照命(ほでりのみこと)=海幸彦(うみさちひこ)、火須勢理命(ほすせりのみこと)、火遠理命(ほおりのみこと)=山幸彦(やまさちひこ)のお三方です。火遠理命(山幸彦)の別名を「天津日高日子穂穂手見命」と申します。海幸彦と山幸彦のお話は、皆様ご存知のことですから勝愛します。 9.天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうかやふきあえずのみこと) 竜宮に行かれた、火遠理命=山幸彦=天津日高日子穂穂手見命は、海神(わたつみのかみ)の娘である音姫様:豊玉毘売命(とよたまびめのみこと)と結婚されます。先に地上に帰られた穂穂手見命を追って、豊玉毘売命が「既に身ごもっており、今、産むべきときが参りました」と、竜宮から地上へと来られます。急いでその海辺の波限(なぎさ)に鵜の羽を葺草(かや)にして産屋を造りますが、未だ葺き終えぬうちに生まれたもうた御子が「天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命」であります。 #
by ikawazukbr
| 2010-12-23 11:08
| 伊勢神宮
2010年 12月 21日
7.『日本書紀』の美しい文章
三つの宝物について、『日本書紀』には次のように美しい文章で、天照大神の神勅(しんちょく)として書かれております。 ①「故(か)れ天照大神すなわち天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと) に八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)、及(また)八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさ なぎのつるぎ)、三種の寶物を賜い、・・・・」 (天照大神天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅) ②「吾(あ)が児(みこ)、此の寶鏡(たからのかがみ)を視まさむこと、當(まさ)に吾(あれ) を視るがごとくすべし。與(とも)に床(みゆか)を同じくし、殿(みあらか)を共(ひとつ) にして、斎鏡(いわいのかがみ)と為す可し」 (天照大神宝鏡奉齋(ほうきょうほうさい)の神勅) ③「吾(あ)が高天原に所御(きこしめ)す齋庭(ゆには)の穂(いなほ)を以て、亦吾が 児に御(まか)せまつるべし」 (天照大神齋庭稲穂(ゆにはのいなほ)の神勅) ●天照大御神は、稲穂を与え給い、日本人の主食としての稲作農法が始りました。ドイツの 科学者: リービヒは、日本の水田耕作を、「土地を永久に保つ無類の農法」と、称えて おられます。 国史絵画の説明:斎庭の稲穂(神宮徴古館蔵) #
by ikawazukbr
| 2010-12-21 17:06
| 伊勢神宮
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