井蛙見聞録
ikawazukbr.exblog.jp

井の中の蛙見聞録
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
<   2010年 01月 ( 5 )   > この月の画像一覧
京都もみじ狩り旅行
 実光院は説明書によると「魚山大原寺下院の本堂:勝林院の僧院である。勝林院は、長和二年(1013年)慈覚大師円仁(天台宗の入唐求法僧・中国から仏教儀式音楽である声明を伝えた)の九代目の弟子寂源が、天台声明を伝承するために建立した寺である。後に聖応大師良忍が来迎院を建立し、この地が天台声明の中心地となり、以後この二院を本道として魚山大原寺と総称するようになった。勝林院には実光院のほかに、宝泉院、普賢院、理覚院などの子院が建てられ、歴代の住職は日々天台声明研鑽に励んできた。実光院は、はじめ隣の大原陵(後鳥羽天皇・順徳天皇)の地にあったが、大正8年に普賢院と理覚院を併合し、普賢院跡地である現在地に移転した。」とある。
 現在の客殿は大正十年に建てられたそうで、欄間には江戸時代中期に狩野派の画家によって描かれた三十六詩仙画像が掲げられている。床の間には、声明研究の一助にと歴代住職が収集した楽器が陳列されている。
 声明とは、寺院で行われる法要儀式の中で仏教の経典などに節をつけて唄う仏教音楽だそうで、その起源はインドで紀元前仏教の発生と共に始まり、現在では天台声明と真言声明が主流になっているそうだ。「天台声明」の根本道場として現在に到るとのこと。
 客殿の南に広がる池泉鑑賞式庭園は、旧普賢院の庭園である。客殿の西側に広がる池泉回遊式庭園は、旧理覚院の庭園である。庭の中央に始めて見る珍しい木があった。不断桜と呼ぶ珍しい品種だそうで、かなりの古木であり小さいが桜の花が咲いていた。この桜は、初秋から翌年春まで咲き続けるので、不断桜と呼ぶそうだ。また、見事な柿の古木もあって幾つかの実を残していた。
[PR]
by ikawazukbr | 2010-01-29 09:28 | 旅行記
京都もみじ狩り旅行
 実光院は説明書によると「魚山大原寺下院の本堂:勝林院の僧院である。勝林院は、長和二年(1013年)慈覚大師円仁(天台宗の入唐求法僧・中国から仏教儀式音楽である声明を伝えた)の九代目の弟子寂源が、天台声明を伝承するために建立した寺である。後に聖応大師良忍が来迎院を建立し、この地が天台声明の中心地となり、以後この二院を本道として魚山大原寺と総称するようになった。勝林院には実光院のほかに、宝泉院、普賢院、理覚院などの子院が建てられ、歴代の住職は日々天台声明研鑽に励んできた。実光院は、はじめ隣の大原陵(後鳥羽天皇・順徳天皇)の地にあったが、大正8年に普賢院と理覚院を併合し、普賢院跡地である現在地に移転した。」とある。
 現在の客殿は大正十年に建てられたそうで、欄間には江戸時代中期に狩野派の画家によって描かれた三十六詩仙画像が掲げられている。床の間には、声明研究の一助にと歴代住職が収集した楽器が陳列されている。
 声明とは、寺院で行われる法要儀式の中で仏教の経典などに節をつけて唄う仏教音楽だそうで、その起源はインドで紀元前仏教の発生と共に始まり、現在では天台声明と真言声明が主流になっているそうだ。「天台声明」の根本道場として現在に到るとのこと。
 客殿の南に広がる池泉鑑賞式庭園は、旧普賢院の庭園である。客殿の西側に広がる池泉回遊式庭園は、旧理覚院の庭園である。庭の中央に始めて見る珍しい木があった。不断桜と呼ぶ珍しい品種だそうで、かなりの古木であり小さいが桜の花が咲いていた。この桜は、初秋から翌年春まで咲き続けるので、不断桜と呼ぶそうだ。また、見事な柿の古木もあって幾つかの実を残していた。
[PR]
by ikawazukbr | 2010-01-27 11:12 | 旅行記
京都もみじ狩り旅行
 大原の郷に入ると、狭い道にそれて三千院の直ぐ傍まで登って行く、それでほんの少し歩けばよかった。三千院の前には、お土産物の店が十軒ほど並んでいる。三千院の門前で写真を撮ってもらい拝観に入る。
 三千院は説明書によると、「大原の地は千有余年前より魚山と呼ばれ、仏教音楽(声明)の発祥の地であり、念仏聖による浄土信仰の聖地として今日に至ります。創建は伝教大師最澄上人(767~822)が比叡山延暦寺建立の際、草庵を結ばれたのに始まります。別名、梶井門跡、梨本門跡とも呼ばれる天台宗五箇室門跡の一つで、当院は皇子、皇族が住職を務めた宮門跡です。現在の名称は、明治四年、法親王還俗にともない、梶井御殿内の持仏堂に掲げられていた零元天皇寝筆の勅額により、三千院と公称されるようになりました。」とある。
 円融蔵という宝物展示場には、往生極楽院の船底型天井に描かれている極楽浄土に舞う天女や諸菩薩の姿が、極彩色で模写され復元されているのが見られる。平成元年に建立されたという金色不動堂の金色不動明王、そこから少し小高い処にある平成元年に建立されたという観音堂の身の丈3mもある観音さまに手を合わせる。
 お庭は、たいへん広く、あちこちに紅葉が残っている。よく広告で見かける可愛いお顔のお地蔵さまが、緑の苔の中に立っていらっしゃる。一つひとつに手を合わせ写真に収める。たくさん写真を撮ったので次に向うことにする。
[PR]
by ikawazukbr | 2010-01-25 14:25 | 旅行記
京都もみじ狩り旅行
 本日のお献立による、食前酒・先付・八寸・向付・吸物・焼物・炊合・油物・酢物・後汁・御飯・水物などの料理が、2時間余をかけて次々に運ばれて来る。
 料理旅館「幾松」の料理長が心を込めて提供してくださる京料理が、美しい器に盛られて出てくる。ゆっくり味わっていただけるので、本当に美味しい。
 10時ころ寝間の用意をしてくださったので、明日の予定を確認して、休ませていただく。SSSSSZZZZZZ
 夜の館内は静かで、ゆっくり休むことが出来て、朝は7時に起床した。8時に一階に下りると今日もさわやかな晴天、別館の食事処で朝食をいただいたが湯豆腐が美味しかった.。
 9時に出発のため一階に下りたが、宿の方は誰一人いなかった。フロントで精算を済ませて、待っていてくれたハイヤーに乗り込んだが、見送ってくれたのはたった一人の女性だけ。いささか寂しい。500mくらい走った時、杖を玄関に置き忘れたことに気が付いたので、取りに戻ってもらったが、杖は玄関にそのままで誰もいなかった。立派な旅館なのにこの点だけは少し気になった。
 今日は、大原三千院→実光院→宝泉院→寂光院を拝観して帰路につく予定だ。
[PR]
by ikawazukbr | 2010-01-25 14:21 | 旅行記
京都もみじ狩り旅行
 旅館「幾松」は、明治維新の三英傑の一人である「桂 小五郎(のちの木戸孝允)」と三本木の芸妓であった「幾松(のちの妻・松子)」の寓居跡である。経営者とは血縁関係はないようだ。現在の経営者も先代から譲り受けたようで、先代との血縁関係もないようだ。
 幾松という方は、若狭小浜の生れで、八歳の時に京都に出て、のちに三本木の芸妓になった。桂小五郎とのロマンスは文久の頃から始まり、反勢力側から常に命を狙われていた桂小五郎を、深い愛の力と気丈な言葉と機転の効いた行動でもって命がけで護りぬこうとされた。殺伐とした幕末の動乱期に花と咲いた二人のロマンスは、書物や映画を通して今も生き続けている。
 幾松の間は、当時の調度・部屋の造り・資料などが残っており、資料館となっている。幕末には幾度となく新撰組の襲撃を受けたこの屋敷には、現在も、廊下の下を通って加茂川に逃げ出せる通路の入口、不意の敵の侵入に備えて天上に750kg程の大きな石が何時でも落せるように仕掛けられていた天井、などそのままの形で残されている。ある時、次の様な事件があったという。幾松は外出先で新撰組に後をつけられ気がついたが、そのまま家に入り桂小五郎を長持ちの中に押し隠し、静かに三味線を弾いていた。そこに新撰組の近藤勇が乱入、幾松に桂小五郎の所在を詰問する。長持ちの中で息を殺す桂小五郎、長持ちの蓋を開けようとする近藤勇の手を幾松が三味線の撥で静かに強く抑える。
 近藤勇はそのまま何も云わずに立ち去った。息詰まるような光景が眼に浮ぶ。
 幾松の気丈な対応、その意気に感応した近藤勇の武士道、幕末の動乱期を美しく彩った心意気、胸が熱くなった。
 女将さんに送られて、部屋に戻って、これから夕食をいただく。
[PR]
by ikawazukbr | 2010-01-05 09:35 | 旅行記