井蛙見聞録
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井の中の蛙見聞録
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京都もみじ狩り旅行
 京都に旅館が多い中、なぜ「幾松」を選んだか書いておこう。それは、自分が会社勤めをしていた頃、仕事の関係で京都にある「島津製作所」の製品を使う側の立場にあり、打ち合わせのために何度か来京し、その度に「幾松」に泊めていただいたことがあったからである。あれからもう40年も経つのです。
 旅館「幾松」は、登録有形文化財に登録されているそうで、新しく整備された道路から入り、細長い通路を通って玄関まで昔懐かしい景色がそのまま残っている。中ほどの左側に、新館が出来ているのが変ったことのようだ。
 本館を希望してあったので案内されると、玄関も中庭も周辺の部屋も昔の面影が残っている。二階にある伏見の間に泊めていただく。担当くださる仲居さんは、女性ではなく、羽織・袴の若い男性であった。これは始めてのこと、驚きでした。
 先に、お風呂を済ませて待っていると、「女将さんが「幾松の間」でご挨拶と当館の歴史を説明させていただきます。」と案内してくれた。一階に下りて中庭の横を通って「幾松の間」に到ると、若い綺麗な女将さんが待っておられて、説明してくださるのを聞かせていただく。
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by ikawazukbr | 2009-12-24 21:30 | 旅行記
京都もみじ狩り旅行
 今日はこれまでにして旅館に行こうと思ったが、ドライバーさんが“まだ時間があるから青蓮院に行きましょう。国宝の青不動が1、144年の創建以来始めて御開帳になっています。”と、薦めてくれたので案内してもらった。説明書によると、「青不動は、日本三大不動画の一つである。国家の安泰や、皇室の安寧を祈願することが目的で、絵仏師によって精魂こめて描かれた礼拝画像である。平安中期の気品に満ちた美意識が反映された優雅で華やかな画像で、わが国の仏教絵画史の中でも屈指の名品である。
 絹本の2m四方の大画像で、当初は朝廷の中でお祀りされており、皇室の方々に信仰され、天台宗の選ばれた高僧が如法に供養し祈祷されてきた。平安時代の末に、皇室との縁が深かった青蓮院に下賜された。」とある。
 正式には、国宝「青不動明王二童子像」という。「青不動」に、国家の安泰と皇室の安寧を心から祈願しました。青蓮院には一昨年と昨年と続けて拝観しているので、早めに切り上げて今夜の宿「幾松」に向うことにした。
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by ikawazukbr | 2009-12-21 17:33 | 旅行記
京都もみじ狩り旅行
 園光寺は説明書によると、「慶長6年(1601)徳川家康が国内教学の発展を図るため、下野足利学校第九代学頭・三要元佶(閑室)禅師を招き、伏見に園光寺を建立し学校とした。園光寺学校が開かれると、僧俗を問わず入学を許した。また孔子家語・貞観政要など多くの書籍を刊行し、これらの書物は伏見版または園光寺版と称された。当寺には、出版に使用された木活字が現存しており、我国出版文化史上特筆すべき寺院であるといえよう。その後、相国寺山内に移り、更に寛文7年(1667)現在地に移された。境内山上には徳川家康を祀った東照宮がある。」とある。
 此処のお庭では、既に紅葉の見頃を過ぎており落ち葉が積み重なっていた。10日ほど前なら良かったようだ。庭園には水琴屈があり、澄んだ美しい音を静かに奏ででいた。傍にとても可愛いお地蔵様が立っていらして、微笑を投げかけていた。
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by ikawazukbr | 2009-12-20 15:00 | 旅行記
京都もみじ狩り旅行
 詩仙堂丈山寺は説明書によると、「石川丈山の草庵の跡。現在、詩仙堂丈山寺という、曹洞宗の寺になっている。丈山は漢詩人として、また隷書の達人として知られるが、元々は武士であった。天正十一年(1593)三河の徳川家臣の家に生れた丈山は、十六歳で家康の近習となっている。大阪夏の陣で抜け駆け禁止の軍規に反したため武士を退き、その後は京都の藤原惺窩のもとで儒学を学んだ。寛永十八年(1641)より詩仙堂で悠々自適の日々を送った。丈山が九十歳で大往生を遂げたのち、詩仙堂の持ち主は度々変ったが、建物は当時のまま現在まで残された。竹薮に覆われた境内は清々しく、丈山の人となりをしのばせる。」とある。
 また別の説明書によると、「正しくは凹凸窩であり、詩仙堂はその一室である。凹凸窩とは、でこぼこした土地に建てた住居という意である。詩仙堂の名の由来は、中国の漢晋唐宋の詩家三十六人の肖像を狩野探幽に描かせ、図上にそれら各詩人の詩を丈山自ら書いて四方の壁に掲げた“詩仙の間”を中心としているところからよばれる。現在は、曹洞宗大本山永平寺の末寺である。」とある。
 庭園は、“さつき”に囲まれており、花の咲くころにはさぞ美しいだろうと思われる。背景となる周囲の紅葉が映えている。全体に広くはないが、部屋から眺める自然と調和したお庭は心洗われるように思う。
 庭に下りると、紅葉・すすき・緑・花などに囲まれており、もみじの赤がひときわ映えていた。
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by ikawazukbr | 2009-12-18 14:17 | 旅行記
京都もみじ狩り旅行
 次に、園光寺から詩仙堂に行く途中に、きらら漬の「雲母漬老舗・穂野出」がある。前にここに「きらら漬」を買いに来たとき、「宮本武蔵ゆかりの碑」を見たのであった。せっかく来たのだからと「きらら漬」を買いに立ち寄った。
 きらら漬は、長さ3~4 cmの小さい「なす」を「この地特有のみそ漬」にしたもので、あっさりとした味で美味しいものである。此処にしか売っていなくて、他のおみやげ物店にはないから、此処に買いに来るしか手に入らない。
 きらら=雲母は、この一乗寺から比叡山へ登る坂道が、昔から雲母坂と云われていたところから命名されたと云う。庭はむかしの茶店風になっていて、薪を背負って本を読みながら歩いている二宮金次郎の銅像が立っていた.。
 前に来たときは、ご主人が居られて、若い頃に伊勢の小俣町に修行に行っていたとか、「きらら漬」の“うんちく”を語ってくれました。このところ体調がすぐれず、今日は出てきていないそうで、息子さんがお店においででした。「宮本武蔵ゆかりの碑」の処を、山手に入り細い道を進め詩仙堂・園光寺に向います。
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by ikawazukbr | 2009-12-14 18:58 | 旅行記
京都もみじ狩り旅行
 曼殊院は説明書によると、「延暦年間(782~806)、伝教大師(最澄)が鎮護国家の道場として比叡山上に設けた堂宇を、天歴年間(947~957)に、是算国師が西塔北谷に移し東尾坊と称したのに始まる。下って天仁年間(1108~1110)、第八世・忠尋大僧正によって寺号が改められ曼殊院となる。明応四年(1495)に伏見貞常親王の息・慈運大僧正が入寺して以来、代々法親王が院主となり門跡寺院に列せられた。現在地に移ったのは明歴二年(1656)、良尚法親王の奏請による。良尚法親王は、桂離宮を造営した八条式部卿智仁親王(御水尾天皇の猶子)の子で、建物や庭園には、桂離宮の書院にも通ずる洗練された意匠がみられる。」とある。
 拝観料を払って玄関を入ると、ドライバーが優秀なガイドに早変り、丁寧に説明をしてくださる。だから小さい事も見逃さずに行き届いた拝観ができた。
 重文である大書院・小書院は、欄間の形状や長押の飾り金具、杉戸の引手金具なども風格のある造りである。狩野探幽・狩野永徳の襖絵、絵画、書、なども素晴しい。紅葉はやや過ぎていたものの、枯山水の庭園は見る人の心を慰め、また静かに考えさせる。名残り惜しいがここを出て次に進むことにする。
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by ikawazukbr | 2009-12-13 18:15 | 旅行記
京都もみじ狩り旅行
 京都駅で昼食にするべきかと思ったのだが、松ヶ崎駅周辺にも食べる処もあるだろうと、先に松ヶ崎駅まで行くことにした。ところが、松ヶ崎駅に降りると周辺には何もない田舎の駅だ。畑もあるし裏山には五山送り火の「妙」の字がすぐ近くに見える。周辺を歩いてみると、北山通りに沿って喫茶店は2~3あるが、食事の出来るような店は無いようだ。仕方なくコンビニで食物を買って安く済ませておくことにした。
 13時ちょうどハイヤーが来てくれて、ドライバーに今日の行程をお任せして、腰痛をカバーするために杖を持って車に乗り込む。修学院離宮は見学の申し込みが必要だが、とても広いから歩くのが大変だろうと、申し込みしなかったので止めて、先ず曼殊院を目指して出発した。
 途中、見覚えのある景色が目に入った。一乗寺下り松「宮本武蔵ゆかりの碑」である、ここは前に来たことがある。
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by ikawazukbr | 2009-12-11 16:21 | 旅行記
京都もみじ狩り旅行
昨年5月から既に1年半、去る平成21年12月1日(火)~2日(水)久しぶりに1泊2日の旅行を楽しんだので、ブログの方も書いておくことにした。
前日まで雨模様の日が続いていたが、この2日間は晴天が続き気温も高く、日中は歩いていると暑いくらいだった。翌日3日は、また雨模様だったから、旅館が2日は既に満室で取れなくて、空いている1日を予約した所から幸運がスタートしていたのでしょう。神様からのプレゼント、ありがとうございます。
近鉄特急で京都駅に降り立ったのが11時、荷物を旅館へ届けてくれる「てぶらでGO」と云うサービスを利用して荷物を預けた。ハイヤーを頼んであったのが地下鉄・烏丸線の松ヶ崎駅で13時の待ち合わせでした。
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by ikawazukbr | 2009-12-10 17:58 | 旅行記