井蛙見聞録
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井の中の蛙見聞録
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みささぎ参拝の薦め
(33)第33代:推古天皇(つづき8)

③“氏族”そして“国” “家” “人”とは(96ページ)
 そもそも氏族とは何であろうか。氏族それ自身おいては一個の血族私党たるにすぎない。氏族が氏族たり得たのは、国家の理念現成にその氏族が果たした役割においてである。まづ国である、国家である。日本の道統においては、宇宙の普遍的原理たる神の、地上における自己形成の総合的基本形態を“国”というのである。その“国”なるものの最小の現れたものを“人”といい、家族として現れたものを“家”というのである。すべては国家においてあるのであり、神と国と人とは内外相即であって、単に氏族なるものはあり得ない。

④太子眼前の事態(96ページ)
 しかるに太子眼前の事態は、血で血を洗う権力抗争のとめどなき非常の姿であった。その非常は蘇我馬子の大逆(たいぎゃく)によって頂点に達した。崇峻帝(すしゅんてい)のにわかの崩御は天下の衝動する大事件であった。しかし、悪盛んなれば天に勝つ――かの如き蘇我の権勢に圧倒されて、大小の中央氏族たちのうち、誰一人としてその理非曲直を匡すために立ち上がる者はなかった。心には皇国の道統が危機にあることを憂慮して蘇我の専横を憤りながらも、ただあれよあれよと拱手(きょうしゅ)傍観(ぼうかん)することしかできなかったのかもしれない。

⑤第33代:推古天皇の即位(96~97ページ)
 このような事態の中で、その年の12月、第33代:推古天皇は皇位につかれた。日本における最初の女帝であった。群臣の推戴とはいっても、それが蘇我馬子の要求であったことは明らかである。この時すでに聖徳太子は19歳、用明天皇の直系の信頼篤き皇子であったし、或いはまた敏達(びたつ)天皇の第1皇子:押坂彦人(おしさかびこひとの)皇子(みこ)(舒明(じょめい)天皇の父君)もおられたのであるが、それにもかかわらず、かつて前例のない女帝が出られたということは、そこに馬子の計算を充分覗うことができる。
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by ikawazukbr | 2012-08-02 15:37 | 旅行記