井蛙見聞録
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(33)第33代:推古天皇(つづき6)

(33特2)皇太子の堂々たる内政と外交
①飛鳥(あすか)時代の皇太子は、天皇より自由な立場で国政に実権をふるうことができた。特に聖徳太子(しょうとくたいし)は、「摂政」として「大臣」蘇我(そがの)馬子(うまこ)らの協力により「万機(ばんき)を総摂(そうせつ)し、天皇の事を行ひたまふ」たのである。就任早々の推古天皇2年(西暦594年)、「三宝(さんぼう)(仏法僧(ぶつほうそう))興隆」の詔(みことのり)を公式に出されたので、廷臣たちは各々君親の恩のため競って仏舎を造るようになった。

②十年後の推古天皇12年(西暦604年)正月元旦、【冠位(かんい)十二階】が初めて女帝から臣僚(しんりょう)たちに授けられた。従来は、朝廷から主な氏に賜った姓(かばね)が世襲され、その氏姓で身分の上下を示した。しかし今後は、個人の才能・勲功により天皇から冠位を賜ることになったのである。

③同年4月3日、皇太子親ら肇めて【憲法十七条】を作られたのである。

④外交面でも、推古天皇8年(西暦600年)、新羅へ出兵したり隋(ずい)の様子を探ったりした。推古天皇15年(西暦607年)、遣隋使(けんずいし):小野(おのの)妹子(いもこ)を送り「日出ずる処の天子、日没する処の天子に書を致す。恙(つつが)無きや。・・・・・・」という堂々たる国書を皇帝煬帝(ようだい)に呈している。従来の朝献(ちょうけん)外交を止め、対等外交を開こうとした聖徳太子の見識と勇気には、驚嘆するほかない。推古天皇は、帰国した小野妹子に最上の冠位「大徳」を授けておられる。

④他にも、聖徳太子は、三経(法華経(ほけきょう)・勝鬘経(しょうまんきょう)・維摩経(ゆいまきょう))の義疏(ぎしょ)(中国伝来の諸注釈書を検討整理し自説も補足した編著)を作成、「天皇記・国記」以下の国史を編纂、するなどの偉大な功績を残されている。

⑤推古天皇30年(西暦622年)2月22日、49歳の生涯を閉じられたのである。
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by ikawazukbr | 2012-07-22 11:35 | 旅行記