井蛙見聞録
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井の中の蛙見聞録
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みささぎ参拝の薦め
(33)推古天皇(つづき)

c.主な出来事
①39歳のとき、崇峻(すしゅん)天皇5年(西暦592年)11月3日に崇峻天皇が崩御された。そこで敏達(びたつ)天皇の皇后であった炊屋姫(かしきやひめ)に皇位を継いで頂くよう、群臣たち揃ってお願いするが辞退され、三度目にようやく受け入れられた。

②推古(すいこ)天皇元年(西暦593年)4月、厩戸豊聰耳(うまやどのとよとみみの)皇子(みこ)を立てて皇太子とされ、国政をすべて任せられた。太子は、用明(ようめい)天皇の第二皇子であり、母は皇后の穴穂部間人(あなほべのはしひとの)皇女(ひめみこ)(欽明(きんめい)天皇の皇女)である。皇后は馬司(うまのつかさ)の所においでになったとき、厩の戸に当られた拍子に難なく出産された。太子は、生まれて程なくものを云われたといい、聖人のような智恵をお持ちであった。成人してからは、一度に十人の訴えを聞かれても間違うことなく、先の事までよく見通された。仏法を高麗(こま)の僧:慧慈(えじ)に習われ、儒教(じゅきょう)の経典を覚哿(かくか)博士(はかせ)に学ばれた。そして、これらを悉(ことごと)く極められた。用明天皇が可愛がられて宮殿の南の上宮(かみつみや)に住まわされた。それでその名を称えて上宮(かみつみやの)厩戸豊聰耳(うまやどのとよとみみの)太子(ひつぎのみこ)と云う。

③推古(すいこ)天皇2年(西暦594年)2月、天皇は、皇太子と蘇我(そがの)馬子(うまこ)大臣に詔して、仏教の興隆を図られた。このとき多くの臣(おみ)・連(むらじ)たちが、君や親の恩に報いるため、競って仏舎(寺)を造った。

④推古(すいこ)天皇3年(西暦595年)5月、高麗(こま)の僧:慧慈(えじ)が帰化した。皇太子はそれを師とした。百済の僧:慧聡(えそう)が来た。この二人が仏教を広め、三宝の棟梁(とうりょう)となった。4年(西暦596年)11月、法(ほう)興寺(こうじ)が落成した。馬子(うまこ)大臣(おおおみ)の長子:善徳(ぜんとくの)臣(おみ)を寺の司(つかさ)に任命した。この日から、法興寺(ほうこうじ)に慧慈(えじ)と慧聡(えそう)の二人が住んだ。

⑤推古(すいこ)天皇5年(西暦597年)4月、百済(くだら)が調(みつぎ)を奉った。6年(西暦598年)4月、新羅(しらぎ)から鵲(かささぎ)2羽が献上された。6年(西暦598年)8月、新羅(しらぎ)が孔雀(くじゃく)1羽を献上した。6年(西暦598年)10月、越(こし)の国(北陸)から白(しろき)鹿(しか)1頭が献上。7年(西暦599年)4月、大地震が発生、多数の建物が崩壊。
 7年(西暦599年)0月、百済(くだら)から駱駝(らくだ)1匹、ロバ1匹、未2匹、白(しろき)雉(きじ)1羽、が献上された。
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by ikawazukbr | 2012-07-13 09:58 | 旅行記