井蛙見聞録
ikawazukbr.exblog.jp

井の中の蛙見聞録
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
みささぎ参拝の薦め
(21)第21代:雄略(ゆうりゃく)天皇
         (大泊瀬(おおはつせの)幼武(わかたけの)天皇(すめらみこと))
a.御陵
 陵名=丹比(たじひの)高鷲原(たかわしはらの)陵(みささぎ)
 墳名=高鷲丸山古墳+平塚古墳
 陵の形=円丘・堀
 所在地=大阪市羽曳野市島泉八丁目
 交通=近鉄南大阪線「高鷲駅」下車、北へ約600m

b.履歴
 御名・異称=大泊瀬(おおはつせの)幼武(わかたけの)尊(みこと)
 父=第19代:允恭(いんきょう)天皇
 母=忍坂(おしさか)大中姫(おおなかつひめの)命(みこと)
 皇后=草香(くさかの)幡梭姫(はたひひめの)皇女(ひめみこ)
 妃=韓媛(からひめ)(葛城(かつらぎの)円(つぶらの)大臣(おおおみ)の娘)、
    稚姫(わかひめ)(吉備(きびの)上道(かみのみちの)臣(おみ)の娘)、
    童女君(おみなぎみ)(春日(かすがの)和珥(わにの)臣(おみ)深目(ふかめ)の娘)
 皇子女=白髪(しらがの)武広国(たけひろくに)押稚(おしわか)日本(やまと)根子
       (ねこの)尊(みこと)(後の清寧(せいねい)天皇)、
       稚足姫(わかたらしひめの)皇女(ひめみこ)(伊勢の斎王(さいおう))
       磐城(いわきの)皇子(みこ)、星川稚宮(ほしかわのわかみやの)皇子(みこ)、
       春日(かすがの)大娘(いらつめの)皇女(ひめみこ)
 誕生=允恭(いんきょう)天皇7年(西暦418年)
 立太子=―――
 即位=安康(あんこう)天皇3年(西暦456年)11月13日
 崩御=雄略(ゆうりゃく)天皇23年(西暦479年)8月7日
 在位年数=24年
 年齢=  歳
 年号=―――
 皇居=泊瀬(はつせの)朝倉宮(あさくらのみや)(奈良県桜井市岩坂)

c.主な出来事
①安康(あんこう)天皇3年(西暦456年)8月9日、眉輪王(まよわのおうきみ)に殺されて、安康(あんこう)天皇が崩御された。原因は、安康天皇が「私は眉輪王(まよわのおうきみ)が怖い」と皇后と話しているのを影で聞いてしまった眉輪王が、天皇を怨んで昼寝中に殺害してしまったのである。雄略(ゆうりゃく)天皇は驚き怒られて、八釣(はちつ)白彦(しろびこの)皇子(みこ)、坂会(さかあいの)黒彦(くろびこの)皇子(みこ)。眉輪王(まよわのおうきみ)、坂会部(さかあいべの)連贄(むらじにえの)宿禰(すくね)、を攻め共に誅殺された。
備考:眉輪王=安康天皇の皇后:中蒂姫(なかしひめの)と先夫:大草香(おおくさかの)皇子(みこ)(仁徳天皇の御子)の間に生まれた。
坂会黒彦皇子=安康天皇の同母兄、雄略天皇の同母兄
八釣白彦皇子=安康天皇の同母弟、雄略天皇の同母兄
雄略天皇=安康天皇の同母弟

②安康(あんこう)天皇3年(西暦456年)10月9日、安康天皇が生前に「磐坂(いわさかの)市辺押羽(いちのへのおしわの)(磐)皇子(みこ)(履中(りちゅう)天皇の御子)に皇位を譲ろうとされていた」ことを妬んだ雄略(ゆうりゃく)天皇は磐坂市辺押羽(磐)皇子を、更に御馬(みまの)皇子(みこ)(磐坂市辺押羽皇子の同母弟)を謀殺した。

③雄略天皇3年(西暦459年)4月、雄略天皇に対して、伊勢の斎王(さいおう)であった栲幡(たくはたの)皇女(ひめみこ)が(雄略天皇の御子で稚足姫(わかたらしひめの)皇女(ひめみこ)の別名)「妊娠している」と讒言した者があり、栲幡皇女が調べられた。栲幡皇女は「知らぬこと」と答えられた。
 栲幡皇女は急に神鏡を持ちだして、五十鈴川のほとりにおいでになり、人の行かぬ所を選んで神鏡を埋め、首をくくって死なれた。天皇は皇女の居られないことを疑われ、闇夜にあちこち探し求められた。すると川上に虹の掛かったところがあり、そこを掘ると神鏡が出てきた。近くに皇女の屍があった。腹を割いてみると。腹の中に水のようなものがあり、水の中には石があった。
 備考:この記事が天照大神の天の岩戸隠れに反映しているとする歴史学者もある。
[PR]
by ikawazukbr | 2012-06-06 18:25 | 旅行記