井蛙見聞録
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井の中の蛙見聞録
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みささぎ参拝の薦め
c.主な出来事
①百済(くだら)の国との関係
 応神(おうじん)天皇三年(西暦273年)、百済(くだら)の国で辰斯王(しんしおう)が位についたが、天皇に対して礼を失した。紀角(きのつのの)宿禰(すくね)・羽田(はたの)矢代(やしろの)宿禰(すくね)・石川(いしかわの)宿禰(すくね)・木莵(つくの)宿禰(すくね)を遣わして、その礼に背くことを責めさせた。百済の国は辰斯王を殺して陳謝した。紀角宿禰等は阿花(あくえ)を立てて王として帰ってきた。
 応神天皇七年(西暦277年)、高麗(こま)人・百済(くだら)人・仁那(みまな)人・新羅(しらぎ)人等が来朝した。
 応神天皇八年(西暦278年)、百済人が来朝した。

②髪長媛(かみながひめ)と大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)(後の仁徳(にんとく)天皇)
 応神天皇11年(西暦281年)、ある人が「日向の国に髪長媛(かみながひめ)という嬢女(おとめ)がいます。諸県(もろかた)の君牛(うし)諸井(もろい)の娘で、国中の美人です」と申し上げた。天皇は喜ばれて、髪長媛を召された。大鷦鷯(おおさざきの)尊(みこと)は髪(かみ)長媛(ながひめ)を一眼見て心ひかれました。天皇は、大鷦鷯尊が髪長媛を気にいっているのを見て、娶あわせようと思われた。大鷦鷯尊は髪長媛を娶とり仲睦まじくなられた。

③百済の国との関係(弓月君(ゆずきのきみ)・阿直岐(あちき)・王仁(わに))
 応神天皇14年(西暦284年)、百済から弓月君がやってきた。奏上して「私の国の百二十県の人民を率いてやってきましたが、新羅(しらぎ)人が邪魔をしているので、加羅(から)の国に留まっています」と云う。そこで葛城襲津彦(かつらぎのそつびこ)を遣して、弓月の民を加羅の国によばれた。しかし襲津彦は3年経っても帰ってこなかった。
 応神天皇15年(西暦285年)8月、百済の王は阿直岐(あちき)を遣して良馬二匹を奉った。阿直岐は学問に秀でていたので、太子莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)の学問の師とされた。阿直岐に「百済には、お前より優れた学者がいるか」と尋ねると、「王仁(わに)という優れた人がいます」と答えがあった。すぐに荒田別(あらたわけ)・巫別(かむなぎわけ)を遣して、召された。
 応神天皇16年(西暦286年)2月、王仁がきた。太子莵道稚郎子の学問の師とされ、諸々の典籍を学ばれた。王仁は総てによく通達している学者であった。
 応神天皇16年(西暦286年)百済の阿花王が亡くなったので、直支王(ときおう)(阿花王の長子)が位に就いた。
 応神天皇16年(西暦286年)8月、平群(へぐりの)木莵(つくの)宿禰(すくね)・的(いくはの)戸田(とだの)宿禰(すくね)に精兵を授けて加羅の国に遣した。木莵宿禰らは兵を進めて新羅の国境に迫った。新羅の王は恐れて服した。そこで弓月の民を率いて、襲津彦(そつびこ)と共に還ってきた。
 応神天皇25年(西暦295年)、百済の直支(とき)王が亡くなった。その子の久爾辛(くにしん)が位に就いた。
 応神天皇37年(西暦307年)2月、阿知使主(あちのおみ)・都加使主(つかのおみ)を呉の国に遣して、縫工女を求めた。呉の国王は縫女(ぬいめ)として、兄媛(えひめ)・弟媛(おとひめ)・呉織(くれはとり)・穴織(あなはとり)の四人を与えた。
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by ikawazukbr | 2012-05-17 17:40 | 旅行記