井蛙見聞録
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井の中の蛙見聞録
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みささぎ参拝の薦め
(14特)神功(じんぐう)皇后(こうごう)
     (気長足姫(おきながたらしひめの)尊(みこと))=
     第14代:仲哀(ちゅうあい)天皇の皇后
 天皇(すめらみこと)の御位には付かれておりませんが、次の第15代:応神(おうじん)天皇が即位されるまでの70年間、摂政としての御働をなされました。その長期間の事績から『日本書記』にも一巻を設けておりますので、ここでも(14特)として記述いたします。
a.御陵
 陵名=狭城(さきの)楯列(たてなみ)池上(いけのえの)陵(みささぎ)
 古墳名=五社神(ござし)古墳
 陵の形=前方後円・堀(全長275m、後円部径195m、後円部高23m、
                前方部幅155m、前方部高27m)
 所在地=奈良県奈良市山稜町宮ノ谷
 交通=近鉄:京都線「平城駅」下車、徒歩3分
b.履歴
 御名=気長足姫(おきながたらしひめの)尊(みこと)(開化(かいか)天皇の曽孫、
                   気長宿禰(おきながのすくねの)王(おおきみ)の娘)
      幼時から聡明で、叡智であらせられた。要望も優れて美しく、
      巫女的性格も兼ねそなえておられた。
 父=気長宿禰(おきながのすくねの)王(おおきみ)
 母=葛城(かずらぎ)高顙媛(たかぬかひめの)命(みこと)
 天皇=仲哀(ちゅうあい)天皇二年(西暦193年)、皇后となられた
 皇子女=誉田別(ほむたわけの)尊(みこと)またの名を胎中(はらのうちにまします)
       天皇(すめらみこと)(後の応神(おうじん)天皇(てんのう))
 崩御=神功(じんぐう)摂政(せっしょう)69年(正ら木269年)4月17日
 年齢=100歳

c.主な出来事
①仲哀(ちゅうあい)天皇にお告げをくだされた神
 仲哀天皇9年(200年)2月、皇后は、天皇が神のお告げに従わないで早く亡くなられたことを悼んで、この神をよく知り財宝のある国を求めようとされました。罪を祓い過ちを改めて、さらに斎宮(いわいのみや)を小山田邑にたてられました。
 皇后は、吉日をえらんで斎宮に入り、自ら神主となられた。武内(たけしうちの)宿禰(すくね)に琴を弾かせ、中臣烏賊津使主(いかつのおみ)を審神者(さにわ)とし、奉幣を数多く積まれて神に請うて申された。「先の日に天皇に教えられたのは、どこの神でしょうか? どうかその御名を知らせてくださりませ」と。
 七日七夜に至って、「伊勢の国の度会県(わたらいのあがた)の五十鈴宮(いすずのみや)においでになる。名は撞堅木(つきさかき)巌之御魂(いつのおたま)天疎(あまさかる)向津媛(むかつひめの)命(みこと)」、「形に顕われた吾は、尾田の吾田節の淡郡にいる神である」、「天事代虚事代玉籖入彦巌之事代(いつのことしろの)神」、最後に「日向の国の橘の水底にいて、海藻のように若々しく生命に満ちている神、名は表筒男(うわつつのお)・中筒男(なかつつのお)・底筒男(そこつつのお)(住吉の三神)の神」と名乗られた。
②熊襲(くまそ)征伐(せいばつ)
 仲哀(ちゅうあい)天皇9年(200年)3月、神の言葉を聞いて教えのままに祀り、鴨別(かものわけ)(吉備臣の祖)を遣わして熊襲の国を討たせた。いくらも経たぬのに自然と服従した。皇后は、更に神祇(しんぎ)を祭り、男装して軍を率いて新羅(しらぎ)に向われることになった。(つづく)
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by ikawazukbr | 2012-05-09 10:23 | 旅行記