井蛙見聞録
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井の中の蛙見聞録
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みささぎ参拝の薦め
(14)第14代:仲哀(ちゅうあい)天皇(てんのう)
    (足仲彦(たらしなかつひこの)天皇(すめらみこと))
a.御陵
陵名=恵我(えがの)長野(ながのの)西陵(にしのみささぎ)
古墳名=岡ミサンザイ古墳
陵の形=前方後円・堀(全長242m)
所在地=大阪府藤井寺市藤井寺4丁目
 交通=近鉄南大阪線「藤井寺」下車、バスで「御陵前」下車、東へ200m

仲哀(ちゅうあい)天皇の陵(みささぎ)の近くにある御陵
 日本武尊こと(やまとたけるのみこと)白鳥陵(しらとりのみささぎ)
 第15代:応神(おうじん)天皇(誉田(ほむたの)天皇(すめらみこと))=
       恵我(えがの)藻伏岡(もふしのおかの)陵(みささぎ)
 仲姫命(なかつひめのみこと)(第15代:応神(おうじん)天皇の皇后)=
       仲津山(なかつやまの)陵(みささぎ)
 第19代:允恭(いんぎょう)天皇(雄朝津(おあさづ)間稚子(まわくごの)宿禰(すくねの)
       天皇(すめらみこと))=恵我(えがの)長野北(ながののきたの)陵(みささぎ)
 第21代:雄略(ゆうりゃく)天皇(大泊瀬(おおはつせの)幼武(わかたけの)天皇
       (すめらみこと))=丹比(たじひの)高鷲原(たかわしはらの)陵(みささぎ)
 第22代:清寧(せいねい) 天皇(白髪(しらがの)武広国(たけひろくに)押稚(おしわか)
       日本根子(やまとねこの)天皇(すめらみこと))=
       河内(かわちの)坂門原(さかどのはらの)陵(みささぎ)
 第24代:仁賢(にんけん) 天皇(億計(おけの)天皇(すめらみこと))=
       埴生(はにゅうの)坂本(さかもとの)陵(みささぎ)
 第27代:安閑(あんかん) 天皇
       (広国押(ひろくにおし)武金日(たけかなひの)天皇(すめらみこと))=
       古市(ふるちの)高屋丘(たかやのおかの)陵(みささぎ)
 来目(くめの)皇子(みこの)墓(はか)(第31代:用明(ようめい)天皇(てんのう)の皇子、
       聖徳太子の弟)=埴生(はにゅうの)崗上(おかのうえの)墓(はか)
 いずれも近鉄:南大阪線「古市駅」・「道明寺駅」・「土師の里駅」・「藤井寺駅」から
 1km位の距離です。上記の他にも大小の古墳が数多くあります。

b.履歴
 御名・異称=足仲彦(たらしなかつひこの)尊(みこと)
 父=日本武尊(やまとたけるのみこと)
 母=両道(ふたじ)入姫(いりひめの)命(みこと)
 皇后=気長足姫(おきながたらしひめの)命(みこと)(=神功(じんぐう)皇后(こうごう))
 妃=大中媛(おおなかひめ)、弟媛(おとひめ)、
 皇子女=麛坂(かごさかの)皇子(みこ)、忍熊(おしくまの)皇子(みこ)、
       誉屋別(ほむやわけの)皇子(みこ)、
       誉田別(ほむたわけの)皇子(みこ)(後の応神(おうじん)天皇(てんのう))
 誕生= ? 
 立太子=成務(せいむ)天皇48年(西暦178年)3月1日
 即位=仲哀(ちゅうあい)天皇元年(192年)正月11日
 崩御=仲哀(ちゅうあい)天皇9年(200年)2月6日
 在位年数=9年
 年齢= ? 
 年号=―――
 皇居=志賀(しがの)高穴穂宮(たかあなほのみや)(滋賀県大津市坂本穴太町)
      角鹿(つぬがの)笥飯宮(けいのみや)(福井県敦賀市)
      穴門(あなとの)豊浦宮(とよらのみや)(山口県下関市長府)
      筑紫(つくしの)橿日宮(かしひのみや)(香椎宮)(福岡県福岡市東区香椎町)
      磐余(いわれの)稚桜宮(わかさくらのみや)(奈良県桜井市池之内)=(神功皇后)

c.主な出来事
①熊襲(くまそ)征伐(せいばつ)
 仲哀(ちゅうあい)天皇二年(193年)3月、南海道を巡幸され紀国(きのくに)の徳靭津宮(ところつのみや)に居られたとき、熊襲が叛いたので征伐に向われた。穴門(あなと)(山口県)で皇后を待たれた。
 仲哀天皇八年(199年)9月、神が皇后に神託(しんたく)を垂れ、「熊襲が従わないことで征伐に向うより、良く自分を祀ったら、その後ろにいる新羅国(しらぎのくに)は刀に血ぬらないで、きっと服従するであろう。自然と熊襲も従うであろう」と。
 天皇は神のお言葉を聞かれたが、疑いの心が残ったままであった。熊襲を討たれたが、勝てずに帰られました。神は、また皇后に託され「汝はわが言葉を実行しないのであれば、汝は国を保てないであろう。今、皇后は孕(みごも)っておられるので、その御子(みこ)が国を得られるであろう」と。
 仲哀天皇九年(200年)2月、急に病気になられ、翌日にはなくなられました。神の御言葉を採用されなかったので早く亡くなられたことが窺がわれます。
 皇后は、天皇の裳を隠して天下に知らされずに、時の情勢に対処されました。
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by ikawazukbr | 2012-05-06 10:20 | 旅行記