井蛙見聞録
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井の中の蛙見聞録
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みささぎ参拝の薦め
(10)第十代:崇神(すじん)天皇
 (御間城入彦(みまきいりひこ)五十瓊槙(いにえの)天皇(すめらみこと))
a.御陵
 陵名=山辺(やまのべの)道勾(みちのまがりの)岡上(おかのえの)陵(みささぎ)
 古墳名=柳本(やなぎもと)行灯山(あんどんやま)古墳
 陵の形=前方後円・堀
       (全長242m、前方部幅100m、後円部径158m、高さ30m)
 所在地=奈良県天理市柳本町
 交通=JR桜井線「柳本駅」下車、東へ800m

崇神(すじん)天皇の陵(みささぎ)の近くにある御陵
 第十二代:景行(けいこう) 天皇
  (大足彦(おおたらしひこ)忍代別(おしろわけの)天皇(すめらみこと))=
   山辺(やまべの)道上(みちのえの)陵(みささぎ)
 第七代:孝霊(こうれい)天皇の皇女:倭迹迹日(やまとととひ)百襲姫
  (ももそひめの)命(みこと)陵(みささぎ)
 箸墓(はしはか)古墳(よく卑弥呼の墓か? と報道されている)・
   巻向(まきむく)石塚(いしつか)古墳(こふん)
b.履歴
 御名・異称=御間城(みまき)入彦(いりひこ)五十瓊槙(いにえの)尊(みこと)・
          御肇国(はつくにしらす)天皇(すめらみこと)
 父=第九代:開化(かいか)天皇
 母=伊香色謎(いかがしこめめの)命
 皇后=御間城姫(みまきひめの)命(大彦(おおひこの)命(みこと)の娘)
 妃=紀伊国(きいのくに)の遠津年魚眼(とおつあゆめ)眼妙媛(まくわしひめ)
   、尾張の大海媛(おおしあまひめ)
 皇子女=活目入彦(いくめいりひこ)五十狭茅(いさちの)尊(みこと)
       (後の垂仁(すいにん)天皇)、彦五十狭茅(ひこいさちちの)命、
       国方(くにかた)姫(ひめの)命、千千衡(ちちつく)倭姫(やまとひめの)命、
       倭彦(やまとひこの)命、五十日鶴彦(いかつるひこの)命、
       豊城(とよき)入彦(いりひこの)命、豊鍬入姫(とよすきいりひめの)命、
       大入杵(おおいりきの)命、八坂入彦(たさかいりひこの)命、
       渟名城入姫(ぬなきいりひめの)命、十市瓊(とうちに)入姫(いりひめの)命
 誕生=開化(かいか)天皇10年(西暦前148年)
 崇神天皇68年(紀元前30年)12月5日
 立太子=開化(かいか)天皇28年(前130年)正月5日
 即位=崇神(すじん)天皇元年(前97年)正月13日
 崩御=崇神(すじん)天皇68年(前30年)12月5日
 在位年数=68年、年齢は119歳
 年号=―――
 皇居=磯城(しきの)瑞籬宮(みずがきのみや)(奈良県桜井市金屋)
c.主な出来事
①遷都
 崇神(すじん)天皇三年(前155年)都を磯城の地に移した。瑞籬宮という。
②四年十月二十三日、崇神(すじん)天皇は、詔を発して次のように申された。
 「わが皇祖(みおや)、諸(もろもろ)の天皇(すめらみこと)たちが、その位に臨(のぞ)まれたのは、ただ一身のためではない。神や人を整え天下(あめのした)を治めるためである。だから代々良い政治をひろめ徳(うつくしび)を布かれた。いま自分は大業(あまつひつぎ)を奉承(うけたまわ)って、国民をめぐみ育うこととなった。どのようにして皇祖の跡をつぎ、ながく窮(きわまり)無い御位を保とうか。群卿(まえつきみたち)百僚(もものつかさ)たちよ、忠貞(ただしきこと)の心をつくして、共に天下(あめのした)を安らかにしよう」
③天照大神を皇居内から笠縫邑へ
 五~六年、国内に疫病がはやり、死ぬ者も多く、土地を離れる者もおおく、反逆する者も出てきた。そのため、これまでは、天照大神の仰せのとおり、天照大神と倭(やまと)大国魂(おおくにたまの)神を天皇の大殿の内に並び祭ってきたが、その神の威(いきおい)を畏(おそ)れて、これ以後、天照大神は豊鍬入姫(とよすきいりひめの)命に託(つ)けて笠縫邑(かさぬいむら)(桜井市三輪の桧原神社あたり)に祀らせ、倭大国魂(やまとおおくにたまの)神は市磯長尾市(いちしのながおち)(倭氏の祖)を祭主として祀らせました。
④大物主大神(おおものぬしのおおかみ)を祀る
 市磯長尾市(いちしのながおち)は、お祀りが出来ない状態になってしまったので、神々をお招きして占いを行った。倭迹迹日(やまとととひ)百襲姫(ももそひめの)命に神懸りして、大物主大神が告げられた。大物主大神は、大和の三輪山を御神体とする(「物」は精霊の意で、本来は雷蛇神である)大和の国の守護神として畏敬せられた神である。大物主大神(三輪氏の祖神=大己貴神(おおなむちのかみ))は、大田田根子(おおたたねこの)命(大物主と活玉(いくたま)依姫(よりひめ)の御子)を祭主として祀らせました。
 後に、倭迹迹日(やまとととひ)百襲姫(ももそひめの)命は、大物主大神の妻となったと書いてある。
⑤天神地祇の社を定め奉りたまう
 天皇は宮廷のある大和だけでなく、全国各地の統一をめざして「八十万の諸神を祭る」とともに、「天社(あまつやしろ)・国社(くにつやしろ)、および神地(かむところ)(神田(しんでん))・神戸(かんべ)(神領)を定められた。
⑥四道(しどう)将軍を派遣
 十年九月、天皇は「民を導く根本は教化(おしえおもぶく)にある。遠い国にも、わが教を広めたい」と、大彦(おおひこの)命を北陸に、武渟川別(たけぬなかわわけ)を東海に、吉備津彦(きびつびこ)を西海に、丹波道主(たにわのみちぬしの)命を丹波に遣わされた。十一年四月、地方の平定がすんだ。
⑦御肇国(はつくにしらす)天皇
 十二年九月、始めて人民の戸口を調べて、課役(かえき)も定められた。初めて船を作った。天下(あめのした)は、豊かに平穏になったので、御肇国(はつくにしらす)天皇(すめらみこと)と称えて申し上げる。
(神武(じんむ)天皇についても「始馭天下之(はつくにしらす)天皇(すめらみこと)」と書かれております)
活目入彦(いくめいりひこ)五十狭茅(いさちの)尊を皇太子に立て、豊城(とよき)入彦(いりひこの)命に東国を治めさせた。豊城入彦命は、上毛野(かみつけのの)君(きみ)、下毛野(しもつけのの)君(きみ)の先祖である。
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by ikawazukbr | 2012-04-22 14:03 | 旅行記